トップ 履歴 一覧 ソース 検索 ヘルプ PDF RSS ログイン

仙台「警察の不正経理追及を例に」

最終更新時間:2004年04月09日 16時46分12秒

仙台市民オンブズマン事務局長の庫山恆輔さんが書いた、「情報公開条例(法)を使いこなす  −警察の不正経理追及を例に−」(『宮城の地方自治28』宮城地域自治研究所 2004.3)を転載します。みやぎ住民運動ネットワーク第2回例会-効果的な行政監視の方法を学ぶ- 2003/5/31(土)午後1時半〜 仙台弁護士会館4階大会議室で行われた講演会のまとめです。

【追加資料】文中に出てくる、仙台市民オンブズマンが追及して判明した、宮城県警の捜査報償費の平成11年-14年のデータ ならびにグラフをアップしました(04.4.9)

情報公開条例(法)を使いこなす  −警察の不正経理追及を例に−

仙台市民オンブズマン事務局長 庫山 恆輔

 はじめに

今日は、住民運動のネットワークにふさわしい日和ではないかと思います。

住民運動というのは、そうそう晴れた日ばかりが続くわけではありません。雨の日もあれば、風の日もあれば、嵐の日もある。それをどう乗り越えていくかというのが、住民運動の面白みでもあります。私からは、住民運動にとって非常に有効な手段である、情報公開条例をどんなふうに使っていったらいいのか、ということをお話します。使い方をこうしたらいい、ああしたらいいということではなくて、私どもがやってきた例を取り上げながら、お話させていただくことにします。

 サブタイトルとして「警察の不正経理追及を例に」というふうにしておきました。今、私どもは、情報公開訴訟あるいは住民訴訟で警察の不正経理、宮城県警のカラ出張だとかあるいは捜査協力報償費というものが協力者に渡っていない、全部裏金になっているということで訴訟をやっているわけですけれども、全国広しといえども、オンブズマン組織がいっぱいあるといえども、こういう類いの訴訟をやっているところは他にはないんですね。 これはなぜできているのかと言いますと、非常に部分的なものですけれども、警察情報を全国に先んじて公開させたからです。このことがなければ、私どもの今の取り組みもないわけでして、そういうことを若干振り返ってみたいと思います。

 警察のカラ飲食・カラ出張

 皆さん、ご承知のように宮城県庁は、カラ飲食、官官接待、カラ出張問題で、95、96年と2年間にわたって大揺れに揺れたわけですけれども、あのさわぎの中で、私たちがどうしても調査できなかったところが県の組織の中にあったわけです。

 1つは宮城県議会、もう1つは宮城県警本部。これはどうしてかと言いますと、情報公開条例の中に公開対象の機関が例示されているわけですが、その中に警察と議会は書かれていない。書いていないというのは宮城県が特殊だというのではなくて、ほとんどの全国の条例がそういう状態だったわけです。そうすると、県庁で入手できたものと同じ資料が入手できないという状態だったわけです。ですからこれを何とかして、そこに情報公開のメスを入れていくということができないものかということで、いろいろ論議していたわけです。

そういう論議をしている時に、95年の丁度食糧費問題がたけなわのころ、県庁の課のすべての食糧費の調査をおえたころだったと思いますが、事務局に一本の電話が入ったんですね。議会の食糧費について調査はしないんですかという話なんです。したいんだけれども、しかし条例上、今言ったように実施機関に入っていないわけですから、出来ないんで非常に残念なんですよ、という話をしましたら、その方は議会の職員は併任ですよっていうんです。いろいろやりとりしているうちに、わかってきたことは、予算の編成執行に関係する仕事というのは知事にしかできない。議会の議長に権限はない。警察本部長にもない。教育委員会の教育長にもない。全部それは委任されて補助執行という形で仕事をする。お金を扱う時には知事部局の職員の立場で仕事をする。こういう建前になっているんです。そのことをその方は言おうとしていたわけなんですね。予算の編成執行権は知事にあるから、その知事の命を受けて仕事をしている人の仕事というのは知事の仕事をしていることになりますよと、ですからそれに関連する文書というのは知事に請求してもできるはずですよと、こういう話になるんですね。そこまではっきりいったわけではありませんけれども、その話を受け止めてオンブズマンの例会等で、色々議論をすると、地方自治法その他の規程をみるとそういう話になるんですね。約1年ぐらい、いろんな形で検討したわけです。弁護士のメンバーが大変多くいますし、そういう法律にくわしい、地方自治法に詳しい方もいますし、いろいろ議論をしたあげくに、これはできるんじゃないか、実施機関に入っていなくても、予算に関係する文書については知事に請求することで突破できるんじゃないか。しかし、もし文書があったとしても必ずこれは非開示にしてくるだろう、あるいはそういう文書はありませんという決定をしてくるだろう、と言うことまで想定をした上で、開示請求に取り組みはじめたということなんです。ですから当然、知事の方は予想どおり、非開示決定、ないしは文書不存在の決定をしてきました。「それは私どもの管理する文書ではありません。それは議会や警察が管理している文書です。したがって、そういう文書は知事部局には存在しません。あるいは知事部局に一部はあっても、それについては出せません」という決定をしてきたわけです。

 予算執行関連文書の公開を求めて提訴― 仙台高裁・仙台地裁で原告勝訴

これについては、今言ったように当然そういうことになるだろうと思っていましたので、初めから提訴しよう、法廷の場で白黒つけようということで、95年の秋ぐらいから作業がはじまって、96年の7月に旅費についての提訴、12月に食糧費についての提訴ということで裁判がはじまりました。で、今言ったような論理で裁判でもある程度やれるんじゃないかということだったんですが、残念ながら、98年4月14日にでた旅費関係の一審の仙台地裁の判決というのは、知事側の主張を受け入れて、その文書は議会ないしは警察が管理している文書で、知事の管理する文書にはあたらないという判断を示し、我々は一審で負けてしまったわけです。

しかし、それでひるんでいてはなんですので、その後、高裁に控訴しまして、そしてその後2年ぐらいたって2000年3月17日高裁で逆転勝訴ということになります。これは、全面的に原告の主張をみとめ、予算の編成執行権限との関係で知事の管理する文書にあたるという判決を出したわけです。この間に私どものそういう論理で、開かずの扉を開こうということを96年の全国大会で呼びかけたところ、いくつかのオンブズマン組織がそれに取り組みました。福岡、静岡、鳥取とか取り組んだわけです。そして一審で我々の方は負けましたけれども、福岡と鳥取なんかは勝ったんですね。一審で勝った、つまり地域によっては我々の主張を受け入れるところも出てきた。そういうものにも励まされながら、私どもは高裁でのたたかいを続けて、今いったように全面勝訴を勝ち取ったということになるわけです。ついで翌月には地裁の食糧費の判決で基本的にはお店の名前なんかはでてきませんでしたけれども、食糧費の関係文書については同じように公文書性というものを認めて、我々が勝訴するということになりました。この2つの裁判は、いずれも宮城県知事が被告だったわけですけれども、知事は上訴を断念することになりました。

 初めて開示された旅費・食糧費文書

2000年の5月31日に、取り組みはじめてから5年かかって出てきた文書が皆さんのところにお配りしているものです。資料1の左の方がこの時出てきた文書です。これを出されても何がなんだか分けわかんないですよね。だけど、宮城県警側の懇談会に出席した人の名前だけがでてきた、それから請求書がでてきましたから額はわかります。金額と日時と県警側の出席者はわかるというところまできました。それから旅費の方は1番ひどい文書をあげておきました(資料2の左側)。これは出張した人が書く復命書です。非常に簡単なもので当時はよかったんですね。これはすべてスミ塗りにされて、唯一わかるのは、「総務課長」あるいは「総務課」というこの復命書を書いた人の筆跡です。あとは何にもわかりません。でも、筆跡があとで大事なデータになってくるんです。まあ、いずれにしてもこの程度のものしかでなかったんですが、でてきたものの範囲で分析した結果、やはり食糧費、旅費については問題があるということで、情報公開訴訟をおこすと同時に住民訴訟を提訴しました。この食糧費の支出は違法である、あるいはこの旅費はカラ出張である。たとえば旅費について60何件のデータとっていくと、やっぱり同じ筆跡の人が非常に多く出張しているとかそういうことがわかってくるんです。それを全部パソコンに打ち込んで統計的に処理していきますと、これはふつうこんなことは出張ではありえないというのがわかるわけで、そういうことで訴えるということになるわけです。

 開示幅の拡大

そして、その訴訟に取り組んでいる中で、もう一つ大きな前進がありました。2001年6月28日の食糧費の控訴審判決で、会合した場所についての情報を開示しなさいということが命じられて、その資料がでるようになりました。この時に県知事・県警側が主張したのはどういうことかというと、お店の名前がわかると県警によからぬ思いを持っている人たちが、そこを襲撃をする、あるいはあらかじめ何か工作をして県警側に打撃をあたえようとする。そういうことをまことしやかに主張して、我々の主張を退けようとしたわけです。さすが裁判所はそんなに心配ならそんな料亭でやるんじゃなくて、県警本部の会議室でやったらどうですかというわけです。これすごいですよね。まさにそうなんです。あぶないなら県警の建物の中でやったら、これ絶対大丈夫でしょう。だけどそこでやったんじゃ意味がないんですね。料亭で飲み会をやることに意味があるわけですから。

それからもう一つ大きな前進がありました。2002年4月28日に情報公開審査会が実際に文書を見て審理したところ、食糧費の相手側情報とか、あるいは警部の氏名だとかあるいは捜査関係用務ということで非開示にした部分については、そういうものと認められないんで、出しなさいという答申を出したんですね。それで、でてきた資料が先ほどの右側に出ているものなんです。まず、資料1の右側の資料を見てください。この消してあるところに書いてあるのはこういうことだったんですよ。施行理由っていうのを書いている。県警側はここを明らかにすると捜査に影響がでるといったんですよ。ところが実際書いてあるのを読んで見て下さい。「仙台地方検察庁検事正と、当面の諸問題について意見交換をするため」、ただこれだけです。で相手側の名前も平田定男さんという仙台地検の検事正ということですから、検察と警察のトップが勝山館で飲んだだけの話です。こんなもの捜査に関係も何もあるわけないということで、これはもう全部出しなさいと、こういうふうになったわけです。それから資料2の右側を見て下さい。さきほど全くスミ塗りだったものを、全部出しなさいということになったんですね。これが捜査に関係する文書だから出せないって言ってたやつですよ。これ見て下さい。皆さん!これで何がどこが捜査ですか?総務課の課長補佐2 人が10月27日から28日までの2日間、千葉市に事務連絡で出張したと書いてあるだけですよ。これがでたところで捜査に影響がでるなんてことは全く考えられないでしょう。審査会のメンバーは、そんな理由でこれを非公開にするってことは条例の精神に反する、そういう支障が生じるわけがないからこれを出しなさいということになったわけです。このように、一方では訴訟でやりながら、一方で審査会でも審査されて、両方を通じてかなりのところまで開示幅が広がってきたわけです。そして、これをもとに新たな住民訴訟を提起するという形になっているわけです。

 情報公開の進展と不正経理の追及

さて、そういう具体的な流れが、どう具体的に不正経理の追及と関連しているのかということを、簡単にお話します。1つは平成7年度の食糧費についてです。実は平成7年度の食糧費というのは、もう官官接待について全国的な批判が巻き起こって全面的に自粛の時期に入っている時期なんですね。金額もそれ以前と比べると、もうはるかに少なくなっている。件数も少なくなっている。これは5年か6年だと、もう数倍なんていうんじゃなくて多額のお金が使われていたはずですけれども、この7年はもう自粛の時期に入っているもんですから、たいしたことないんですが、しかし、裁判所は1件あたり8千円を超える分については当時の県警本部長らに返還を命じました。ただ私が、非常に残念だと思っているのは、審査会の答申がこの裁判の前にでていると相当事態は変わっていただろうということです。資料1は、検察庁のトップと県警本部長が勝山館でただ飲んでたというだけですから、この懇談自体が違法だというところまでおそらく裁判所は踏みこんだんじゃないかと思うわけです。ただそこまでの情報がまだでてなかったものですから、これはこの程度の判決で終わりました。

第2は平成6、7年度の旅費についてです。皆さんご承知のように第1次の住民訴訟は、2002年の5月9日に被告の認諾ということで終結しました。先ほど、復命書に名前がでてきていた庄子信一という当時の課長補佐が、2度にわたって病気を理由に証人尋問に出て来れないということで、3度目の証人尋問がされるその前日に請求を認諾するということになりました。当時の被告だった総務課長2人と会計課長が、カラ出張はしてませんけれども請求分のお金は返しますというんです。家族が色々心配してるのでとか言ってましたけれども、そういう理屈でかえしちゃう。かえしちゃうとこれで裁判は終わっちゃうんです。請求された金額がもう返っちゃうわけですからね。返るのは私どもに返ってくるんじゃないですよ。宮城県に返ったんですよ。それをお間違えないようにして下さい。150万を認諾で宮城県に返しちゃうということで裁判は終わっちゃったんですよ。これ、浅野知事がわかりにくいと言っているわけですよね。カラ出張なんかしていないんだったら、何で争わないんだ、認諾と非常にわかりにくいことをやってけしからん。そのことが、そのあとの報償費のバトルにつながっていくわけです。ところで、証人尋問の予定だった庄子信一という人の名前は、当時非開示でした。筆跡で庄子信一というのがわかったんですよ。わかったのには2つ理由があったんです。1つは、彼は県議会担当の総務課の課長補佐で、県議会の文教警察委員会の視察旅行にあちこち行くわけですよ。年に5、6回行きますかね。その文書で1回だけ県警の総務課長補佐庄子というのを消し忘れたところがあるんですね、県議会側が。それで庄子というのがわかってきた。それからもう1つは、この見なれた筆跡が、大和警察署の報償費の文書を見てたら、出てきたんですね。報償費の最後に決裁をして数字を書きこんでハンコを押す人がいる。それが同じ筆跡なんです。そして最後に押されているハンコが庄子なんですよ。このハンコは開示されてますので、これでもう完璧にこの筆跡の人は庄子信一であるということで証人申請したら、警察は否定しないわけですね。応じますということになった。相手側の人間を原告側が証人申請するということをあえてやったら、それが図星だったわけですね。これは、関連情報をていねいに見てみると、そういうことがわかってくるという例です。

さて、訴訟の方は、いま第2次住民訴訟をやっています。この中で捜査関係で東京都に5回、千葉市に3回、出張してるんですね。庄子信一がすべて出張していて、それに随行でもう一人が行っているというケースなんですが、これは今、裁判でたいへんおもしろくなって来ています。どういう事案の捜査だったのかということについては、銃器の違法所持に関する事案だといっています。そしてその情報をもっている人に千葉市に3回、東京都に5回出張したんだというので、それはだいたいどういう人物か、外形上の特徴を聞いたら、中肉中背の中年の人物と、こういう回答でした。これは今、非常に苦労していますね。その出張が本当に捜査の用務であったことにしなきゃいかんもんですから。だいたい皆さん、総務課の職員というのは、事務部門・管理部門の職員ですね。捜査と関係のない部門の職員ですから、ふつう出張することはないんです。横山秀夫の「半落ち」を読めばわかるんですが、捜査部門と管理部門というのは犬猿の間柄ですよね。絶対に協力するなんてことはありえないってことを、彼は小説で書いているわけですけれども、銃器対策担当の課長から依頼されて総務課の課長補佐が捜査関係で出張する。この人猛烈に忙しい人ですよ。県議会対策その他、本部長の秘書的なこともやっていますし、とてもそんなことをやれる暇のある人じゃないんですけれども、せっせと出張したことになっているんですね。これは、いずれ証人尋問で追及する。もう認諾というのはむずかしいと思いますんで、これはもう法廷の中でどういう事実関係だったのかわかると思います。

さて、もう一つ、今、犯罪捜査報償費というのをやってます。これは年間3千5〜6百万のお金がすべて裏金にまわっているというのが我々の主張なんですが、つい最近仙台地裁が月別の額については出しなさいという判決を出しました。どこそこの警察署、どこそこの課で、月々いくら使ったかということについては捜査に関係ないので出してもいいんじゃないかということで、でました。一体それが何が見えてきたかということで、最後にこの資料を若干紹介しましょう。

まず、資料3、捜査二課というのは知能犯と選挙犯を担当しているところです。選挙犯というのは選挙の時期じゃないとありませんので、知能犯というのと関連づけてみました。犯罪捜査報償費というのは、協力者に犯罪発生地付近でお金を払うことになっています。ということは犯罪の発生件数と相関関係にあるというのが前提です。これを見ていただいて、知能犯数と支出額と協力者数に相関関係はありますか?たとえば、8月なんて知能犯の犯罪数は非常に増えているけれども、協力者は9人と少ないとかね。それから9人という月が非常に多いでしょ。同じことが12年度も言えるわけですね。それは、今度警察署ごとの資料4−1、2にいくと、これがまたすごいでしょ。協力者というのは毎月決まったような数になっているんですね。ところが犯罪数というのは、もう、やはり色々違いがあるわけですね。特に凶悪犯なんてあるときには本当はその周辺では協力者がふえてもおかしくないんだけれども、そういう相関関係にないんですね。協力者については判決がでたからわかったわけではなくて、判決がでて、その後開示した資料の開示の仕方がおかしいというので、担当者と猛烈にやりあったわけですね。何でこれは出せないんだとやりあっていたら、ぽろっと、その担当者が実はこの支払精算票という文書があるんですけれども、それについて協力者1人について1枚書くことになっているんです。これ、ポロっといっちゃったんですね。それではじめて協力者の数がわかった。情報公開の担当者と、あるいはその文書を持っているところとの人とやりあっていると、本音がちょっとでてくる。そういう中で今、報償費についても色々見えてきましたので、たぶん報償費についても、かなり大きな成果があげられるんじゃないかと思っています。95年に始めてもう足かけ8年ぐらいたってるんですが、ようやくここまできたということです。しかし、情報公開に一生懸命取り組まないとここのレベルまではこないということです。同じようにどんな問題でもやっぱり、粘り強く周辺情報も含めて色んな角度から情報公開を請求して文書を照らし合わせながらやっていくと、見えないものが見えてくるということになっていって、相手側についての追及も可能になっていくという一つの例として報告させていただきました。

Counter: 245113