インターン感想

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インターン感想
 

市民オンブズマン インターン体験記
2003年夏全国オンブズインターン1期生

動機ときっかけ
「日本は国民主権の憲法を持つ民主主義国家である。そして市民は政治の主役であり、政治・行政の腐敗を防ぐにはその市民の監視が不可欠であって、その鍵は情報公開であるetc……」このような話は義務教育で社会科・公民を習った人ならだいたいそらんじられるものだろう。しかし、実際に今日の社会の中で、一人一人の一般市民が自らを政治の主役と感じることがどれほどあるだろうか?自分たちが良い社会や政治を担っているのだと実感できることはどれほどあるだろうか?……ひょっとしたら、上のような言葉は具体的な実感や行動を伴わないキレイな建前か、遠くで行われている政治をグチるときの決まり文句にすぎなくなっているのではないだろうか……?
 現在、私は大学院で政治学と行政学の理論研究をしている大学院生である。かつて、理論の研究や考察をより深めることで「民主主義」や「市民」というものをリアルに感じられるのではないかと考えていたのだが、実際には逆にそれらは理論にのめりこむほどに、ますます抽象的なものとなり、不明確になるように思えるのだった(自分の勉学が浅いこともあるのだが…)。「政治参加」、「市民の政治」、「国民の議論」そしてそれらによる「政治改革」、いつも文献に躍るこれらの言葉は一体この国のどこにあるのだろう?さらに、そんな理論ばかりやっていて、実際に自分に何ができるのか?世の中の何になるのか?という実存的な悩みも募っていった。民主主義理論というのは現実社会では冒頭にあるような「批判にはなるが実効性のない説教」と紙一重なのだ。それ以上の何になるのだろう?
 大学の中で「市民オンブズマン インターン募集」のチラシを見たのはちょうどそんなことを考えていたときのことだった。――市民オンブズマン?確か数年前に官官接待が騒がれていたときに脚光を浴びていたなあ。今でも時々地方ニュースとかで見るけど、弁護士の団体だったっけ?……正直、知っているのは名前と行政を監視している市民団体ぐらいの認識しかなかったのだが、上述のようなことを考えていた矢先、チラシの「行政を市民の手に取り戻す」というprが琴線に触れた。ここなら市民の政治、民主主義というものが生で見ることができるかもしれない!そして自分の研究の意義も見つけ出せるかも。……などと思い、とりあえず電話してみたら面接となり、自分でもよくわかっていないような政治学の話をまくし立てたら採用が決まって、七月・八月の二ヶ月のインターンが始まった。

オンブズマンの日常
 突然入ってきた新人に具体的な仕事が任せるはずはなく、しばらく役所通いのお供や資料整理などの小間使いの日々が続いた。それでも電話番をしていたら一日目に「もしもし、衆議院議員の○○ですが」と電話がかかり、ニュースで話題になっている市議会議員が突然駆け込んできたり、公共工事談合の内部告発の情報が寄せられたり、新聞・tvのマスコミ各社がやってきて事務局で交わされた話が翌日の朝刊に載っていたりと、ここから政治が、そしてニュースが生み出されているという雰囲気が存分に味わえた。そして、事務局長の弁護士新海先生や専属スタッフの内田さんがマスコミの人などと交わす知識と経験に裏打ちされた会話を横で立ち聞きしているだけで毎日勉強ができるのであった。全国八〇近い市民オンブズマン組織をまとめている全国事務局の常勤スタッフが一名というのは正直驚いた(それだけ各団体の自立性が高いということ)が、そこは確かに、権力や権威ではない、知識と行動が政治に影響に与え、改善を促している現場だった。
 しかし、何といっても「市民の政治」を体現しているのは、タイアップ・グループの存在であろう。別に行政や法律のプロフェッショナルというわけではない、普通に仕事や家庭を持つ一般市民の人々が「地方自治法第○条…」「監査請求」「住民訴訟」といった、私にとっては、大学のテキストになければ、ほとんど中学の公民の期末テスト以来久しく聞かなかった言葉を当たり前のように駆使して議論し、実践に移しているのである。公費の無駄遣い、役人や議員の理不尽な特権、天下り……誰でもとっている普通の新聞の自治体の記事がきっかけで、そこから情報公開請求が始まり、そこで問題をつきとめ、追及し、そしてときに法的手段に訴えて地方政治を変えていく。そこには「けしからん」という批判や評論で終わらず、「けしからんものをどう変えていくか、良くしていくか」ということを考え、実行に移し、法律や制度を武器として使いこなす市民がいた。「熱く」「実効的に」そして「愉快に」。
これまでオンブズマンというのは、何やら法律を駆使して闘うプロの弁護士集団なのではという印象を漠然と持っていた。もちろん法律の駆使はオンブズマンの力の大前提である。しかし、実効性のある活動には、もっと多くのものも必要だ。さまざまな実社会の経験やスキル、地域社会の情報、意表をつくアイディア、バイタリティ、そして労力とコスト。出せるものを出し合い、補えるものを補い合う。法律家や政治・行政の実務家と一般市民のコラボレーションの可能性というものがここには見られた。

市民オンブズマン全国大会
そもそも事務局がこの時期にインターンを募集したのは八月末日の市民オンブズマンの全国大会の準備に必要な膨大な資料作成に作業の助っ人が必要という意味もあるらしく、七月末以降、ほとんどの仕事はそれに費やされることとなった。我々の仕事は全国の公共事業の落札率の調査と全国の自治体の交際費・食糧費のこの一〇年の経緯の追跡である。
前者は全国の市民オンブズマン組織に各地の調査を依頼し、確認し、そして催促すること、後者は全国の自治体の情報担当課に問い合わせるのが全国事務局の任務だ。毎日毎日、北海道から沖縄まで、電話をかけ、問い合わせ確認する日々が続いた。電話代が気になった。そしてその後に訪れたのは事務局に届いた膨大な資料をパソコンに入力するというこれまた気の遠くなる仕事の日々だった。パソコンと向き合う日々、届かぬ資料、迫る大会〆切、時間との闘い。週十二時間というインターン契約はどこへやら、皆で土日を返上して作業した。
これらはひたすら地味な作業といえばそうなのだが、このような地道な資料収集、入力、データ算出、分析、そしてそこからインパクトのある情報を生み出すという手法こそオンブズマンの本領の一つであると思われる。やがて打ち込まれた数字の羅列の中から、注目すべきデータが次々と浮かび上がる。全国横並びの高い落札率、談合の疑いが濃厚な○○工事、追及され反省してか食糧費・交際費を大幅に下げた自治体と開き直ったのかむしろ増加している自治体の格差、そして全国平均値の算出と各自治体の比較、マスコミでよく問題にされる自治体はここでもやはり問題児だったりするetc……。出来上がっていく資料を見るたびに感嘆や感銘、そして呆れや妙な笑いなどが生じ、まとめあげたという達成感以上のものがあった。そして、このような感心(感動)を出来上がった資料を見る全国の多くの人にも是非共感してほしいと思うのであった。
そして仙台での全国大会。そこでは地方単位で活動し、全国規模で集結するオンブズマンの底力を見た気がした。地方の革新を全国へ、全国的な流れを地方へ。全国各地であがった実績を紹介する分科会や地域報告では一人一人市民が政治を変えていくこと、改善を促していくことは「やればできる」のだということが改めて感じられた。そして、全国各地で活躍されているオンブズマンの方々からさまざまな体験談、日々の問題、やりがいなどの話が直に聞けたことは大きな収穫であった。

インターンを終えて
以上のこと以外にも、二ヵ月のインターンの間、行政・法律上の知識から、一般作業、表計算ソフトの使い方まで、得たものは非常に多く、ここに書ききれるものではない。二ヶ月間、手間取りグズつきながらも多少の貢献はしたのではという自負はあるが、経験、学習、動機づけ、出会い……いただいたものの方があまりに多く感謝は尽きない。得たものをどう自分なり活かして還元するかをこれから考えて行きたい。
そして、新海事務局長のいう「この仕事をやっていてよかったと思えるのは、素晴らしい人たちに出会えること」というのは、お世辞ではなく本当に実感された。明日の糧となる貴重な機会と経験を与えて下さった事務局のスタッフの方々、名古屋タイアップ・グループの方々、そして全国のオンブズマンの方々にお礼申し上げたい。ありがとうございました。

蛇足
最後に、私は浅学ながら自分が政治・行政理論の研究生ということを動機として、このインターンに参加したこともあり、この経験や学んだことを現在の本業にどう活かせるかを考えたい。また、インターン中、まさに現実の政治に関わっているオンブズマン関係の幾人かの方々(中には元地方議会議員の方も)に、「政治理論ってなんの役に立つの?」と聞かれた。実務の人々が理論に感心を持つのは当然だし、また実務家が理論に何らかの不信や実効性への疑問を持つのもよく理解できる。しかし、その場ではあまり前向きな答えが出せなかった。だが、本当は理論を実践に応用するチャンスは多くあるはずである。今その疑問にどう投げ返せるかを考えみたい。扱うテーマは「公の歓び」そして「政治過程」である。

まず「公の歓び」から。名古屋でも全国でもオンブズマンの方々は「楽しそう」という印象を受けた。もちろん、私が見てきたのはきわめて短期間であり、もっと辛酸を受けたところを見ていないだけかもしれないし、また活動している人たちが活き活きしているというのは他の多くの市民団体でもそうであろう。しかし、オンブズマンの中で政治や行政の不正や理不尽に立ち向かう人々は、そのテーマの割には心底怒りや悲しみで満ちているのではなく、また正義感や義憤を気負いきっているのでもなく(もちろんそれらも大きな原動力であろうがそれ以上に)、どこか愉快で楽しそうにみえたのが特に印象的だった。
民主主義理論の議論の一つに、「政治参加は人間にとって本質的か」「公共への参加は人間に歓びを与えるか」という問いがある。これはえてして政治と人間の本質論といった抽象レベルに飛んでしまいがちであり、また、安易に「是」というと、現実の政治的無関心や投票率の低下の説明に困ってしまうのだが、大上段の抽象的、哲学的な議論に依らなくても、また投票行動に限らず、公共の決定に参加すること、皆と共に世の中を変えていく手応えを得ること、あるいは権力をギャフンといわせることに人にとって楽しげで、よろこばしいものがあることは否定し難いであろう。一体オンブズマンの人たちは政治の中の何を楽しんでいるのだろうか?これは一つのテーマとなると思われる。
今日、人々は観客的にあるいはアパシーで政治を見ているといわれる。また個人が政治に関わることの負担やリスクも決して少なくない一方で、「私がそうして政治の何が変わる?」と多くの人が疑問に持っている。その中で、身近な権威や権力を突付きまわして世の中を改善していく手ごたえを得ていくオンブズマン的な楽しみ方というものが人をどう政治参加に魅了するかを明らかにすること、それは抽象的な議論や肩の張った正義や道徳、または怒りによって公共への参加を説くこととはまた別の道をもたらすかもしれない。

次に「政治過程」である。政治過程・政策過程の解明、どのような要因や力が作用してある法律・条例や政治の決定が生まれたのか、なぜ他の選択肢が消えていったのかを明らかにすることは最高度の政治情報の透明化であり、説明責任であろう。あらゆる問題のある決定の原因や責任者がそこに見出せるからだ。そしてそこから市民参加の大きなきっかけが望めるだろう。今回の十周年全国大会でも「政策形成のプロセスの透明性を求めること」はこれからの大きなテーマだと確認された。
 ところで「政治過程」、すなわち、あるニーズや問題提起が政治行政システムの中に入れられ、ある政策がアウトプットされる(されない)までの解明と分析は政治理論の十八番である。理論や実例研究の蓄積も豊富だ。しかし、これらが身近な自治体レベルでも活かすことができるという認知は今ひとつされてこなかったのではないだろうか。だが、政治・行政の決定プロセスが厚いベールに包まれ、情報が明らかにしないのであれば、その推測にはこれまで研究蓄積はきわめて有益であろう。そして、もし情報が明らかにされたのであれば、その整理や分析には理論的手法が重要になってくるであろう。政治の理論と実践のクロスする可能性がここにある。
 ところで、市民オンブズマンの最大の武器は情報公開や住民訴訟といった法的手段であるが、それゆえ法的手段の現段階での限界がオンブズマンの限界ともなりがちである。そこから先はオンブズマンの「提言」になるのだが、それが聞き入れられることは容易ではない。なぜなら法的手段の終わる場所は政治的手法の始まる場所であるからだ。そしてそこからは政治・行政の不正、理不尽、問題点の明確化は法廷での武器ではなく、それを有権者の支持や反対勢力の攻撃材料といった政治的な武器に加工しなければならないだろう。
もちろん、これまでも官官接待や権力の癒着が法的手段に訴えると同時に、有権者の支持という強い後押しがあったからこそ改善されたように、また先進的な自治体首長が生まれる原動力となってきたように、オンブズマンは両者を絡ませあって世の中を前進させてきた。今後もさらに政治と法律の二刀流の研磨が目指されるであろう。
法律―政治―市民の環をオンブズマンは自らを軸に立ち上げることができるのだろうか。オンブズマンの挑戦は続くのであろう。そしてそこには世の中を変えるチャンスだけではなく、市民が政治参加を楽しむチャンスや、そして政治の理論と実践が融合するチャンス、そして研究素材の宝の山が眠っているのである。