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外国特派員協会

最終更新時間:2005年03月12日 19時31分45秒

外国人特派員協会 スピーチ原稿    H17.3.11

自己紹介

原田宏二です。私は1957年に北海道警察に入り1995年に退職しました。最初は巡査でしたが、退職する時は、北海道の一地方である釧路方面の本部長(警視長)でした。釧路方面には10の警察署がありこれを統括指揮する立場にありました。この間、一時期警察庁や山梨、熊本県警で捜査二課長を勤めたほか、北海道警察では、大きな警察署の署長や人事などを担当する管理部門の課長、防犯部長などを勤めました。経歴で長いのが刑事の仕事でした。

私は、ちょうど1年ほど前、北海道警察に長年存在した裏金システムについて告発しました。今日は、その体験を綴った「Whistle Blower 警察内部告発者」の出版を機会に、皆さんに警察の「ウラガネ」についてお話にきました。〜[Traditional bad money habit]、[Slush fund]、[Off the book fund]、[Back door money]〜I call it「 URAGANE」

私も長年このウラガネに手を染めていました。皆さんにお話しする資格がないのかも知れません。でも、いつかは、誰かが話すべきだと思っています。どうか、お付き合いください。

日本の近代警察の歴史

日本の近代警察は、明治維新の混乱の中でフランスの警察を手本に1878年に創設されたと言われています。いわば、明治維新政府によって作られた警察です。その後、1945年の敗戦後、戦後の民主警察として国家警察と市や町に地方自治体警察が創られ、1954年に警察法の改正により都道府県単位の警察になり現在に至っています。

しかし、実際は人事や予算の面のほか、具体的な仕事の進め方にも国の機関である警察庁が介入し、キャリア官僚が牛耳る事実上の国家警察となっています。私は外国の警察や治安状況と比較するデーターを持っていませんので、比較はできないのですが、日本警察はかって「世界に冠たる警察」とか日本は諸外国に比べて治安が良いとか言われていたことは知っています。

告発のきっかけ

2003年11月あるTV局が、北海道のある警察署で捜査費を渡したことになっている警察協力者(スパイ)が架空であったことをスクープしたのです。この警察署はかって私が署長を務めたところでした。

警察の裏金システムは私が警察に入ったときからすでに存在していましたし、20年以上も前から、幾度もその存在が指摘されていました。マスコミもうすうすは知っていたはずです。私は、在職中からこうした裏金システムはいつかは問題になる、何とかしなくてはと思いつつ、警察という組織内にいて自己保身の気持ちから何の改善をできないまま退職したのでした。このスクープの前には、私の昔の部下が覚せい剤を使って逮捕される事件がありました。稲葉事件です。私の知る彼は優秀な刑事でした。彼は、8年間拳銃の摘発を専門とする部署で仕事をしていました。拳銃捜査にはマフイア周辺にいる協力者を使わないとできません。当然費用も掛かります。彼は、捜査に必要な経費が警察から出ないため覚せい剤の密売でその経費を捻出していたのです。そのうち自分も覚せい剤を使うようになりました。彼は懲役9年の判決を受けて服役中です。この時、警察の拳銃捜査をめぐって数々の重大な疑惑が取りざたされましたが、結局、この事件は彼だけの責任として終わったのです。私は、その体験から捜査費が警察上層部の飲食や接待など使われ、実際に捜査をする警察官にはほとんど渡っていないことを知っていました。

わが国では、ようやく、情報公開法ができ、各地でオンブズマンが警察の予算の執行に疑惑の目が向けられ始めていました。時代は確実に変化しているのです。しかし、当初警察はこれを完全に否定し、警察をチエックする立場にある公安委員会、議会、そして予算の執行を監視する監査委員も疑惑解明に消極的でした。私は、最早こうした不正が許されてはいけないと思いました。警察は法律の執行者です。その警察が不正をしてはいけないのです。しかし、私も不正に手を染めていました。警察のパッシングも恐ろしかったのです。昔の仲間にも迷惑を掛けます。家族のことも心配でした。黙っていれば今までの平穏な生活が続けられる。どうすべきか迷いました。しかし、これが警察が生まれ変わる最後のチャンスではないかと思ったのです。確かに遅きに失したかもしれませんが、しかるべき立場にあったからこそ、思い切って告発したのです。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」そんな心境でした。それは、2004年2月のことでした。

裏金疑惑に揺れる警察

私が告発してから警察は内部調査を始め、2004年11月、ようやく長年にわたり多くの所属で裏金つくりが行われていた事実を認め、先日9億1600万円を道と国に返還しました。しかし、この調査に当たったのは第3者ではなく、裏金に手を染めた幹部が行ったものですから真実が解明されるはずがありません。多くのまやかしがあります。そのため、道の監査委員の監査結果と大きな隔たりが出てしまいました。その後、警察の裏金疑惑は、静岡、福岡、高知、群馬、京都など全国各地で発覚しました。先月は、愛媛県警の現職警察官の内部告発者まで飛び出しました。私にとっては、これは予想外でしたが、これは単なる偶然ではありません。全国の警察が同じようなことを長年続けていたと考えるのが自然です。そして警察組織の頂点にある警察庁が関与していたと考えなければなりません。しかし、警察庁は依然として裏金問題は地方の警察の問題だと片付けようと必死になっています。

「日本警察の病理」

2000年、相次ぐ警察の不祥事を契機に民間有識者による警察刷新会議が設けられ警察の改革に関する緊急提言が示されました。そこでは、警察組織の閉鎖性、国民の批判や意見を受け入れにくい体質や、「時代の変化」への対応能力の不足などが指摘されました。今回の一連の裏金問題への警察の対応は、こうした警察の問題点が何一つ改善されていないことを国民の前にさらしてしまったのです。具体的にお話しましょう。

*警察の閉鎖性

警察は、階級組織です。よく鉄のピラミッドと称されます。警察一家として団結が強く、たとえOBになってもそれは続きます。しかし、鉄のピラミッドは、外から内部を窺うことはできませんが、内部から外を見ることができません。

裏金の問題に限って見てみましょう。 

そもそも、日本人は、警察に協力するのは善良な市民の当然の義務だとする考えが根強いのです。おそらく国民の大半は警察に「捜査協力謝礼」なる予算があることすら知らないでしょう。一方、警察内部には「金のことを口にするのはタブー視する傾向」があります。現場の捜査員には「武士は食わねど高楊枝」〜武士は対面を重んじるのでたとえ食事をしていなくても,食べた後のようにゆうゆうと楊枝を使う〜貧しい環境にあっても気位を高く持つべきである〜という言葉がありますが、私費で協力者に謝礼を渡して情報を得ることが多かったのです。上層部もそれを知りながら見てみない振りをしていたのです。仕事に必要な経費を自らが負担する。こうした異常なことが何の疑いもなく続けられていたのです。上も下も警察内部の論理でしか行動できないのです。しかも、上位下達は容易ですが、下意上達はほとんどできない組織です。

私は、今回の問題で警察官の自殺が多いのに気がつきました。この10年間で331人もいるのです。稲葉事件でも1人、裏金問題でも1人、いずれも私のよく知っている昔の部下です。話が横道にそれますが、私は、1977年に全国の若い警察官20人ほどを引率してアメリカの警察を視察したことがあります。今でも印象に残っているのはフラデルフイヤの警察署の講堂の壁に掛かっていた殉職警察官の制帽です。(FBIの数字では、2003年の全米の殉職警察官は132人、2.8日に1人)おそらく、日本では殉職する警察官より自殺する警察官の方が多いのではないでしょうか。これは異常です。

話を元にもどします。裏金は、警察の上層部が自由に使える金をプールしておくシステムです。目の前にあり外部からのチエックもない、領収書の要らない自由に使える金があるとどうなるか。まさに人間の良心の問題です。何時、誰が始めたかも分からない、当然のことのようにして延々と続けられていたのです。それに、異を唱えるとどんなことになるかは皆が知っているのです。時には、そうした行動に出た警察官もいました。しかし、そうした警察官は組織への反逆者のレッテルを張られ、左遷されるか組織から排除されるかいずれかです。私は、そうした現実を知っていました。

*警察の特異体質

その1つは、過度な無謬性の追求です。警察は法の執行者ですから誤りのないことが求められます。しかし、実際の現場では誤りは日常茶飯事なのです。それは警察官も人間だからです。問題は、誤りを率直に認める態度でしょう。そこに信頼の原点があると思うのです。国民も警察は誤りのない組織だと錯覚しています。毎日新聞に載る犯罪記事、あれは警察が記者クラブに発表するネタを基に書かれます。いったん報道されると読者は犯罪者と決め付けます。ところが裁判で無罪になったり、誤逮捕であったりします。こうした無謬性の陰に裏金、警察の犯罪行為が隠されていたのです。

その2つは、先の無謬性の追求と表裏をなす組織防衛最優先の論理です。最近、警察官の不祥事が目に付きます。不祥事が起きた時の警察の対応は決まっています。問題の本質が組織的なものであっても、警察官個人の問題とし、組織的な問題にふたをするのです。今回の道警上層部の態度はまさにこれです。ばれたことだけは認める、責任は現場に押し付ける。かくして、組織は、体内にウミを残して腐り続けるのです。警察にとって不祥事とはマスコミに報道されることによって不祥事になります。マスコミに報道されないような事後処理ができる幹部が優秀な幹部との評価がされます。優秀なキャリア官僚と官僚化した地元の幹部が必死で裏金隠しをする理由がここにあります。彼らは、警察にとって国民の信頼などは必要ではない、国民は何かあれば警察を頼らざるを得ない、そう考えているのです。そうでなければ、警察の裏金問題に対する姿勢を理解することはできません。

その3つ目は警察の現場を支配するノルマ主義です。最近、日本の治安が悪くなったと言われています。その、真偽のほどは分かりません。皆さんの目から見てどうなのでしょうか。確かに、これまでになかった形の特異な犯罪が目を引きます。そして、警察の検挙率が低下しているとも言われています。私は、この検挙率という数字を在職中から信用していませんでした。それは、現場の実態とあまりにもかけ離れた数字だったからです。

現場では、警察庁はじめ上層部から示される目標数字にいつも振り回されていました。先の稲葉事件では、拳銃の摘発数がノルマで示され、「首なし拳銃」という化け物を生み出しました。そのほか、交通取締り、各種事件の検挙などいたるところにノルマが存在しました。先に、兵庫県警ではノルマ達成のため捜査書類を偽造する事態まで起きています。数字で仕事の実績を管理するのは容易です。しかし、問題はその中身のはずです。国民が解決を望んでいる事件や事故がどのように解決されているか、が問題なのです。つまり、警察の目線が違うところ、警察の方を見ていることになります。国民のための警察ではなく、警察のための警察なのです。

機能しない警察のチエック機関

警察の裏金がこれまで見過ごされていた最大の理由のひとつに警察をチエックするべき公の機関がその役割を果たしていなかったことがあげられます。

警察を直接管理する公安委員会は、全くといっていいほど御用委員会になっています。今回の裏金問題でも、国家公安委員会や北海道公安委員会は、警察の内部調査を追認するだけで、警察の言いなりに終始しました。

国会や議会も真相の解明に消極的でした。北海道議会は、与党の反対で真相解明に必要な100条委員会を4度にわたり否決しました。

会計検査院の検査や道の監査委員の監査はこれまで形式でした。今回の道の監査委員の監査は、かなり徹底して行われ警察の内部調査に比べてそれなりの成果は挙げました。しかし、こうした検査に対して、警察は「捜査の秘密」を盾に、情報の開示を拒んでいます。監査委員には、守秘義務があります。捜査の秘密を外部に漏らした実例は皆無です。警察の主張する「捜査の秘密」は絶対的なものではありません。「公金(税金)の使途の透明性」と「公共の安全確保」のバランスの上で運用されるべきではないでしょうか。警察予算の執行に疑惑がもたれている現在「捜査の秘密」を理由に情報開示を拒むことはできません。

終わりに

私は、在職中の過ちの償いをしなければなりません。昨年10月、この鉄のピラミッドで苦悩する現場の警察官を救うため「明るい警察を実現する全国ネットワーク」を立ち上げました。すでに、内部告発をした警察官などを支援しています。一方、私が不正に受け取った裏金の一部は、私の良心の証として福祉団体に寄付しました。これは一生続けなくてはならないでしょう。この本の印税も寄付する予定です。

最後に

私事ですが、私はここ数年遅ればせながら放送大学で勉強しています。昨年学んだ英語の教科書の中に、心に残る言葉がありました。「The Last Breeze of Summer」(マリリン・ケイ・ウエバー作)の中に出てくる黒人少女Lizzyの言葉です。これは人種差別の残る1950年代のテキサス州の物語です。[Just surviving isn’t enough]~ただ、生きているだけでは充分とはいえないのだ。

長い間お聞きいただきありがとうございます。

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